ヤッホーブルーイング
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01

すべての始まりは
海外のパブで出会ったビール

海外パブのカウンターにパイントグラスが2つ並ぶ、ビールはペールエールのイメージ

始まりは、1980年代初頭。
軽井沢にある温泉旅館の4代目の青年(のちの星野リゾート代表 星野佳路)はアメリカの大学院に留学していた。そんなある日、彼はニューヨークで一軒のパブに立ち寄った。
何気なく注文したビールを飲んだ瞬間、彼は言葉を失った。
「なんだ、これは?日本で飲んでいたビールとはまるで違うぞ」

深い味わいを予感させる琥珀色、
放たれる香り、口に広がる華やかな味わい。
決してのど越しだけではない、後にも残る深いコク。

そのころ、日本でビールといえば、のど越し、苦味、爽快感といったイメージ。
そのビールは、彼が知っていたものとはまったく違うものだった。

聞けばエールビールという種類のビールだという。
日本では飲んだことがないビールだと伝えると、パブの店員は大いに驚いたという。

おりしも、アメリカでは小規模なビール醸造所「マイクロブルワリー」がブームになっており、急成長するクラフトビール市場と文化を青年は目の当たりにする。
いつか日本でもこんなビジネスができれば...。密かな夢を心に刻んだのだった。

02

新しいビール文化を日本に
築くために

大型醸造タンクと創業者

しかし当時の日本では、法律上新しいビール会社を立ち上げることは現実的に難しかった。
それでも青年は、日本に帰国し家業の旅館に携わりながらも、
ビールへの情熱が冷めることはなかった。

転機は1994年に訪れる。
酒税法の改正により小規模なビール醸造が可能になったのである。
青年は満を持して、1996年にヤッホーブルーイングを設立し創業者となる。
ニューヨークでマイクロブルワリーのビールに出会ってから10年以上の月日が流れていた。

酒税法改正を受けて全国各地に誕生した小規模ビール事業者は、「地ビール」と呼ばれ、新たな観光資源や地方活性施策として、注目を集めるようになった。
しかしヤッホーブルーイングのビジョンは全く異なるものであった。

「軽井沢のご当地ビールに留まらず、大手メーカーとは一線を画す新しいビール文化を日本に築きたい」

全国への出荷を見越した当時業界最大規模の醸造タンク、家庭での飲用を想定した、スーパーやコンビニで取り扱える缶ビールの製造設備。
常識外れの大きな投資は、未来を見据えてのことだった。

03

よなよなエールの誕生

「よなよなエール」発売当時の記者説明会案内板と製品の展示

どんな味わいのビールをフラッグシップにするか。
創業者には明確なイメージがあった。

お手本はクラフトビールに出会ったアメリカ。そのころアメリカのクラフトビール市場はますます成長を続け、全米で人気を獲得するビールが生まれていた。
一番人気だったビアスタイルは「アメリカンペールエール」。華やかな香りを持つアメリカ産のホップをふんだんに使用した、クラフトビールの王道ともいえるビールである。
この味わいが日本のビール文化でも新しい定番になると確信した。

品質は本場に匹敵するものを目指す。もちろん、自分たちの手で成し遂げる。
創業メンバーのブルワーはアメリカへ行き、クラフトビールづくりを徹底的に学んだ。
帰国後、自分たちが目指す味わいに近づけるために試作を繰り返した。

そして、カスケードホップの華やかな香りに
美しい琥珀色、ほんのり甘さを感じるコクと
やわらかな苦味を備えたビールが完成。
1997年7月7日、遂に発売に漕ぎつけたフラッグシップビールの名は
「よなよなエール」

大手がつくる爽快でのど越し重視の「ラガービール」ではなく、香りや独特のコクが特徴の「エールビール」を毎晩毎晩楽しんでほしい、そんな思いを込めて「よなよなエール」と名付けた。

折しも地ビールブーム真っただ中。さらに長野オリンピック開催の勢いもあり、
「よなよなエール」には注文が殺到した。

04

8年連続赤字のどん底から
V字回復へ

「Brewery of the Year」受賞の様子

しかし、どんなジャンルでもブームは長くは続かない。
ものの3年ほどで、地ビールブームは鎮静化。
各地の地ビール会社のあいだでは倒産や廃業が相次いだ。
ヤッホーブルーイングの業績も例外なく急降下していき
8年連続の赤字を記録するに至った。

つくっては売れていった日々は嘘のように、
お店の売り場からは次々と消え、
営業に行っても門前払い。

社員もクラフトビールや会社に見切りをつけて次々と去っていく。

中心メンバーとして業務を担っていた「てんちょ(現社長の井手直行)」は、
創業者に窮状をうったえた。

「ヤッホーブルーイングはもうダメです」

「本当にダメなのかな? とことんやってダメだったら、会社を畳んで釣りでもして暮らそう」

創業者の言葉に、てんちょは「まだやり切っていない」と奮起。
ビールの品質向上に取り組むとともに、
目を付けたのがインターネット通販の「楽天市場」だった。
ここで始めたEC戦略が功を奏し、V字回復につながっていく。

05

日本のクラフトビール市場を
リードするブルワリーへ

超宴に集まるファンとスタッフが乾杯している様子

2008年、創業社長の星野からバトンを受け継ぎ、てんちょが二代目社長に就任。
以降、「よなよなエールの超宴」に代表されるファン施策、
バラエティあふれる個性的なビールラインナップの開発、
ECへのさらなる注力、スーパー、コンビニへの販売拡大、
公式ビアレストラン出店など、さまざまな取り組みを実行。
クラフトビール市場で確固たる地位を確立するに至る。

2026年現在、クラフトビールの醸造所は900を超え、
かつてもっぱら観光地で飲まれる「地ビール」であったものが、
クラフトビールとして日常的に親しまれる存在へと変わりつつある。
そして、「よなよなエール」も日本中のコンビニやスーパーで買えるようになり
私たちが夢見た世界は確実に近づいている。

創業からもうすぐ30年。
私たちヤッホーブルーイングは、ビール製造業という枠を飛び越え、
「ビールを中心としたエンターテインメント」を世の中に提供し、
日本のクラフトビール市場をリードしていきたいと考えている。